ABUU.TOKYO

ABUU.TOKYO@生活日記

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あまりにも強烈な光の中に投げ出されていると、俺は時々、茫然と立ちすくんでしまう事がある。今日の午後2時もそうだった。事務所の6階のベランダから東京の空を見上げていると、綺麗だとか、爽快だとか、ましてや太陽光が健康に良い? なんて感情は一瞬にして打ち消され、ふと、言い知れぬ不安に閉ざされてしまう俺が、小さな東京の一角に浮き彫りにされてしまう。

ベランダの下の公道の往来に目をやると、一人の黒装束の若い女がよろよろと彷徨って東の彼方に遠のいて行く。あれは確かに人間の若い女性だと認識はするのだが、本当にあれは人間なのだろうか? ときっと屈曲する六感が一閃して、目下の光景がかなり心もとない世界へと変化していく。

東京の片隅で今、現実に流れ起こっている白日の時間の流れの中で、どうにも上手く事象を捉えらえていられない落ち着きの無さが俺には常にある。その天空に燃え立つように輝く太陽という巨大な物体にも同じような感覚が沸き立つ。そればかりではない。どうしようもない自分自身のチンケな存在についてすら、全なる激光の束の眩惑の元で、俺のあらゆる感覚は、その遠近感と現実感を失ってしまうのだ。

徘徊し始めて20年以上が経ちます

意味不明の感情に苛み、目的地もない徘徊を始めてから、既に20年以上にもなります。50歳を目前にした時、予期せぬ焦燥にかられ、東京駅までフラフラと。一番早く乗れる新幹線の切符を購入。それが、東北新幹線で。理由無き気分で仙台で下車。仙台駅前のバスターミナルで、これまた一番早く出発するバスに乗り込み。これが、徘徊の始まりでした。当時、48歳。

今年(2023年)で、70歳になります。
あれから20年以上が経った今でも、あの当時の焦燥感は消えません。何故? みたいに思います。よく言う、ミッドライフ・クライシス(Midlife crisis)とは、当時を振り返っても、今はちょっと違うような気もしています。この周辺の気分を、勝手気ままに書いています。

共調してくれとは思わないけど

もしも気が向いたらメールでも頂ければと思います。大したご返事も出来ないと思いますけど。しかし、インターネットという通信手段が、既に大昔になってしまった時代に登場してからというもの、あちこちに沢山のつまらない個人的な日記をアップして来た俺ですが、最近では、あまりにも膨大なテキストや画像や動画に満ち溢れたネット状況の中で、どう、他人様とコミュニケーションを取っていけばいいのか、イマイチ分からなくなっているのです。
toshi☆abuu.tokyo(☆を半角の@に変えて下さい)


▼徘徊 2023年(1)
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